ご家庭での終活 | 本音ココット(シニアの本音)

ご家庭での終活

「終活」とは「人間が人生の最期を迎えるにあたって執る様々な準備やそこに向けた人生の総括を意味する」ということです。
ご自身のこと、ご家族やご主人さまとの関係、その他終活に関してどのように考えていますか。

舅、姑の見送りが続いて感じたこと

楽しみみつけ隊(66歳)

四国に住む舅と姑をこの3年の間に続けて見送りました。
両親の近くに住む義妹が二人の最後を看取り、葬儀に法事にと、ほとんどを彼女が一人で執り行いました。
大黒柱だった舅に似ている義妹は、母親の末期ガンの看病中に彼女自身に乳癌が見つかり、同じ病院で手術、治療しながら、ベットの上で、死期の近い母親の葬儀になった時の連絡先、葬儀社の選定、必要な項目のリストを仕上げました。
もし動けなくなった時のことを考えて、、、と後日笑いながら話していました。
嫁の私は何度も四国と関東を往復しながら、地方の事情や習慣もわからず、何の役にもたたず、彼女からは遠いのに大変と気遣いされる日々でした。
幸い彼女は検査をしながら普通に生活が出来るようになって、母親の着物を洋服に仕立てるのが楽しい!と、友人達の依頼に張り切っています。
先のことを思い悩むより『今日一日が大事!』と言う彼女に私は励まされ、両親の法要のあとに二人で一泊旅行に行こう!と松山、 倉敷に行きました。
彼女を見ていると『終活』って何だろう?と考えてしまいます。
自身が大変な時こそ、周りの人たちに大丈夫よ!と気配り出来る生き方。老後は子供達に迷惑かけたくないと準備する保守的生き方より一歩踏み出してみたい!
来春、桜の咲く頃、京都の親しい親戚のお墓参りに二人で行こう!と楽しみにしています。

間に合うかしら?

華バーバ(71歳)

70歳の誕生日を迎えた頃から少しずつ人生の仕舞い支度を始めなければと思うようになりました。まだ終活という言葉は知りませんでした。
何をどのようにしたらよいか見当もつきませんでしたが、まず荷物を減らすこと。銀行関係、数少ないながら財産の詳細、相続のことなど。葬儀に関する希望などが頭に浮かびました。我が家は息子だけなので、彼らにどのように伝えるかも問題の一つでした。長男は地方都市に、次男は自宅の近くに住んでいますが場所の遠近に関係なく2人とゆっくり顔を合わせて真剣に真面目な話をする機会は少ないので、いざという時の為にどのように伝えておこうか。大事なことはノートを作り記録し、その置き場所は各々に話しておきましたが、まだ我々2人とも元気なので本気で聞いている様には見えませんでした。ちゃんと覚えているのかどうか。機会を設け繰り返し話をしておかなければ。とりあえず私の持ち物処分から始めました。
月刊雑誌2冊の購入をやめました。必要な時は図書館へ。問題は増え続ける衣類。ここ1年着なかった物は処分といわれるが、色々思い出があったり、購入金額が高かったものは中々踏ん切りがつきません。近所にリサイクル所がないのも原因の一つ。区では衣類のリサイクルは今は行っていないとのこと。救世軍では何でも24時間引き取ってくれるというけれど自分で持ち込むことが条件。車を処分してしまったので足がなく、妹に頼むのも気が引けます。仕方がないので区のリサイクルゴミの日に古布とした出すことにしました。これは衣類としてではなく、ぼろ布として使用するらしい。しかしまだ着られる物を出すのは抵抗があります。しかし考えていても荷物は少しも減りません。目をつぶり目立たないように捨てるしか今のところ手がありません。荷物を増やさないために不要な衣類は買わないと決心するが、寂しくなり実行は中々難しい。
夫の衣類はネームの入っているものは勿体ないがその部分を切り取り古布として処分しています。そして夫の本類、結婚前に買い集めた全集類、2Fは本棚だらけ。ブックオフに何度か持って行ってもらったがそれでスッキリする数ではない。話はするがいつも「分かっている」「考えている」の返事だけで行動は一向に伴いません。
いつその時が来るか分かりません。2人いっぺんに居なくなるかもしれないし、1人ずつなら息子たちにかける負担も少ないかもしれませんが、あまりのんびりはしていられないと思うこの頃です。
最近、我が家からの足場がよく、火葬場も近い葬儀場の会員になりました。知り合いが利用しシンプルな花祭壇で価格もリーズナブルでとてもよかったということだったので。このことは息子たちにはまだ伝えていません。資料を『大事なノート』の隣に置いてあります。

我が家のルーツと歴史を子どもに伝えておきたい

ジューン(75歳)

我が家のルーツや歴史を気にするようになったのは一昨年母、昨年兄が思いがけず急に亡くなり、この頃祖父母や親戚のあれこれが気になり、私は末っ子でうるおぼえで分からず、しっかり聞いておかなかったことを後悔しているところです。
先日、戦時中、赤十字の引き揚げ船が爆撃され沈没した内容がTVで放映されていた時、「あの船に乗るはずだったのに、僕、熱を出し乗らなかったので助かった」と主人が話し始めて、弟達も私も初めて聞いて驚きました。
又主人の父方の何代か前からの家系図を親戚が作成し頂いてあり、嫁の私としては関係が分かり助かっています。そのようなことが色々あり、息子も親戚のことや自分が小さい時住んでいた場所など興味を示してきたので、私達が元気なうちに話しておきたいと考え、皆の都合を伺っているところです。

仏壇の前よりお骨の前での対話に満足

いつでもゆめ子(65歳)

我が家のお墓は東京からはるかに遠い山口県の日本海に面した山の上にあります。
結婚したばかりの頃、夫に自分が死んだときには海の見える山の上に埋葬してほしいというようなことを言われ、そのようなこと今言わないでと話したことがありました。
27年前に亡くなってしまった夫は今希望した海の見える山の上のお墓に眠っています。
お墓参りは一年に一度が精々です。亡くなった時に分骨していたこともあり、4年ほど前に東京に小さなお墓を建てました。山口のお墓は先祖代々、とても仕舞うことができずそのままにしました。
私は遠い山口には知り合いもおらず、そこには入りたくないと思ったことも、もう一つお墓を持った理由でもあります。60cm四方の小さなお墓ですので遺骨は家族何人分かを考えると分骨程度しか収めることができません。私のは一部を収めて残りは処分してもらえばいいと考えています。
今、夫の月命日にはお墓参りをして、墓前で家族のことを話して困ったことや不安なことを解消してほしいと命令しています。私の精神安定剤となっており、仏壇の前よりお骨を収めてある前であることが、不思議により夫を身近に感じて対話することができ、近くにお墓があることに満足しています。

断捨離したいのに収集癖のある夫は断れなくて物を貰ってきて困っています

マコロン(68歳)

夫が後期高齢者に突入し、夫婦でいらないものを片付けているのに、姉兄から骨董というガラクタを貰って来るので、片付かない火鉢、ザル、大きなツボ、植木鉢等等、私に見つかると叱られると思ってか、庭の隅に置いてあるものを見ると腹立たしい。
この間も物置きのいらないものをゴミセンターに持って行って、粗大ゴミの処分が大変な事を教えたのに夫はわかってない。
夫のガラクタを捨てたらどんなにスッキリとした生活が出来るだろうと思っています。夫より先には死ねません。

私の終活準備のスタートは断捨離から

水色オリーブ(58歳)

実家の健在の両親も他界した夫の両親も60代でお墓を建て、戒名をいただき、子供たちにお金も気も使わせないように、人生の終わりの始末を夫婦でちゃんとしていた。
私も同じことができるかしら?と思うと何も考えていない自分が恥ずかしいばかり。まだまだ先のことだから真剣に考えるのはもう少ししてからでもいいわ、と思っているうちにどんどん時間は過ぎている。とにかく家族の手を煩わせないよう、できることから始めなきゃ、と思って始めた断捨離。だけど、捨てられない!手放すのをあきらめきれない!洋服、雑誌、食器、好きで集めた雑貨類・・、どれも気持ちの詰まったものばかり。でも処分を人任せにしたくないから自分でなんとかしなきゃ。と断捨離の本を買ってきた。私の終活準備をスタートしたばかり。
夫はいさぎよくバンバン処分したりネットオークションに出したり、リサイクルショップに持って行ったり・・、少しずつ自分の周りをすっきりさせている。
夫は夫、私は私。私のペースで焦らないでやれることから始めましょ。両親たちをお手本にさせてもらいながら、「私の終活を私らしく」と重い腰を上げたばかりです。

残る家族に思い出作りが終活の始まり

楽しみみつけ隊(66歳)

7年前、退職後の生活を考えて、故郷の近くに古民家を買い求めました。
幼い頃の知人友人達と再会すると 「貴女のお父さんには良くして頂いた」「お母さんにお世話になった」と 温かな親切に出会って、両親の恩恵に授かっています。
「母さんは長生きするぞ~!」と冗談ぽく言った父は子供達に老後の負担をかける事もせずに、母が困らないお金と孫たちに奨学金を残してあっぱれな人生を閉じました。
私は父の生き様をお手本に、終活の準備を今しか出来ない事から始めています。
子供好きの父のように、時間を見つけて 牧場に。木の実の収穫に。子供図書館にと、お金をかけずに孫たちと 多くの経験と楽しい笑顔の思い出作りに励んでいます。
縁あって、良くして頂いた周りの方々に私の出来る事でそれとなく感謝を伝えたい。大した事でもないのに、笑顔でお礼を言われると、私の終活もいいかも、、と思い。
身の回りの品は私が落ち着いて楽しくなるものを少しずつ集めてきているので、これからはそれらを好きな人、布や物を生かしてくれる人にお願いして頂いてもらおう。
家と古民具、頂いた思い出の品は今は作る職人が少ないので、昔の伝統あるものを私が預かっていると思っています。将来若い同じ価値観の人に手渡すことを目標にして大切にしていきたい。
30年間貯めた老後の資金は少ないけれど、子供に負担をかけないように、動けるうちは何か私にあった仕事を続けて、たった一度の人生を思いきっり楽しみたい!それが私流の終活の仕方と自負しています。

実家のお墓に入りたい以外はまだ何も・・・

ナマンダム(53歳)

最近よく耳にする「終活」だが、私自身は新しい仕事を始めたばかり。そちらを頑張ることが第一で、「終活」についてはまだ何も考えてない。
私の両親は健在なので、私の「終活」はまだ先だと思っているが、両親は80代なので、「終活」をしている。
家の近くのお寺にお墓も用意し、まだ誰も入っていないが、定期的に手入れをしているし、葬儀社の会員にもなっている。家の荷物や友人知人などの整理などもやり始めている。何をしていくかを洗い出し、パソコンに一覧表を作っている。子供達、つまり私と姉に迷惑をかけないようにと、出来ることからコツコツと行なっているようだ。
私は、両親のする「終活」を参考にしようと思っているので、両親の「終活」が済んでから、と呑気にしている。
ただ1つだけ、お墓については思うことがある。夫の家のお墓でなく、私の実家で用意したお墓に入りたい。
夫の実家は長崎で今は夫の両親は他界し、ご先祖代々のお墓に眠っている。長崎にいる親戚とも付き合いがないので、もうほとんど行くことがない。
知らない土地で知らない方達と同じお墓に入るのは勘弁してほしい。私の実家で用意したお墓が良い。住み慣れた土地で、両親や付き合いの深い人達と一緒がいい、という気持ちだけは強くもっている。

自宅で、可能な限り、住みたい

ワイワイ(74歳)

終活の準備は、殆どしていません。娘と二人暮らしで、気楽という事もあり、漠然と可能な限り自宅で過ごしたいと思っています。近所のテニスの仲間など、お互い歳とっていろいろ出来なくなっても、助け合って、楽しく過ごそうね!などと言い合っています。
ただ、いつどうなっても不思議でない歳でもあるという自覚はありますので、大事な書類は娘にはわかるようにしています。自分の事も分からなくなったら、施設に入れてねと娘に言いつつ、自分のことは自分で出来る期間を延ばす努力が、今心掛けている終活でしょうか。

最後に眠るお墓があると思うと何故か安心

みつ☆まーや(72歳)

50代で逝った夫は長野出身の三男坊。当然お墓もなかったのですが、亡くなる半年前に住まいから徒歩5分のお寺に墓を用意しました。
高台にあり背伸びすると住んでいるマンションがチラッと見えるのが気に入ったようです。
旅先で神社仏閣があれば参拝し、教会があれば祈り、海外旅行ではイスラム寺院にも祈りをささげるような無知無宗教の私ですが、この寺のこの場所に私は最後に眠るんだ、落ち着き場所があるんだと思うと心が和みます。
アルバムの整理も断捨離も気にかかるだけで一向に手が付きません。でも、いいかな。
私が死んだら子供達は業者に頼んで何もかも処分してしまうでしょう。
また「自立できなくなったら全国どこでもいいから年金で賄える場所を探して入れてね。」と言ってあります。
日々ノーテンキに過ごせているのもお墓の効用なのかもしれません。

子供たちに伝えておきたい事

ジョンくんママ(68歳)

終活という言葉で思い浮かぶのは、いつかは来るであろう私達夫婦の葬儀のことです。
どういう形でするか、家族葬にするか、通夜を除いて告別式のみにするか、戒名は?といったもろもろの事をどうするか。と、いうようなことです
と、いうのも、今年母が亡くなった時に、戒名のことで相当悩みました。「院、大姉」をつけるということの費用が、お寺によってとても違うからです。
最終的には、JAの葬儀社に頼んで気持ちよく母を送ることができましたが、事前にいろいろな事を打ち合わせるということは、すべての面ですっきりしていいなと思いました。
息子にも「母さんはどうしたいの?」と、聞かれたときに「こうしてほしい」ということを伝えておけば安心かなと思っています。

終活、積極的に考えたくないけれど・・・

ウナギーヌ(56歳)

就活、婚活、妊活、終活、いつからこんな言葉が巷に拡がったのか? 最初の3つまでは、人生切り開く感じがあって好感が持てるけど、終活というのは、はっきり言っていただけない。自分が消えてなくなることに、積極的に活動なんかしたくないです。と、反発したいような気分になる。
とはいえ、だんだん年齢を重ねてくると、元気で動けるのはあとどの位かとか、もしもの時はどうするのかとか、やはり気にはなってくる。
私は、そのような類のことを漠然と考えるようなことはあっても、具体的にイメージもわかないし、あんまり考えたくもないというのが本音だ。夫婦二人なので、老人ホーム等は考えたくなくても考えなければいけないのだろうが、その先までもなるとなんか縁起でもない、という気持ちになる。
これでは、まったく現代の良識とやらに反しているのかなぁ。具体的に最悪の場合を考えて対応策を練っておく。備えあれば憂いなし。ということで、保険のように考えればいいというのは分かっていても、考えるだけで憂うつだ。
夫は、最悪に備えよと、常々言っているが、終活となると具体的なことには触れず、歯磨きなどしながら、「延命治療だけは、やめてくれ」と、唐突に言ったりする。私の父が、人工呼吸器をつけられ、苦しい思いをしたので、毎度、その話をネチネチと始めるのだ。
エンディングノートなどを買い求める方は、理性があって偉いなぁとも思うのだが、何もかも人まかせで逝ってしまったご先祖もそれはそれでいいのではないかと思ったりもする。

70歳になったら、まずはアルバムの整理!

カモミールシナモン(64歳)

我が家の写真は、最初の頃は重い分厚いアルバム・・・それが、10冊はある。以後、スリムタイプになったが、かなりの数。
これを70歳になったら、生まれた時からの気に入った写真のみをスリムタイプに移し替えていく作業をしようと思っている。そして、ほとんどを焼却するつもり。
こんな考えになったのは、義父母のアルバムが物置の茶箱にあるから。亡くなってすぐには処分はできない。というか、夫がしたがらなかったので、結局 長男の我が家の物置に。これも、すべて夫を説得して焼却するつもり。
なぜ70歳か?60代の今は、まだ写真を取っておきたい気分。体力のことを考えると、70歳が節目かな~と思っている。
気に入った写真のみのスリムタイプは、娘が大事に取っておいてくれるように思う。
膨大なアルバムを息子たちに整理させるのは気が引けるし、保存する場もないだろう。
アルバムが終わったら、食器の選り分け(これも、どことかで頂いたおまけの食器などは処分)、洋服、本、押入れのガラクタと続けていこうかな~と考えている。このあたりまでだと、1、2年はかかるだろうが。
まずは身の回りを整理して、子供達にガラクタの処分で時間を取らせたくないという思いから、考えていることなのだ。

お墓はつくらないと子供に宣言しています

マコロン(68歳)

私の実家の墓は生まれ故郷にあり、故郷に残っているのは長女の姉だけで、長男である弟、次女の私、三女の妹も遠くに住んでいるので、思い切って墓じまいしました。
家はまだ空き家でそのままあるが、姉に相続してもらいました。両親の位牌は、弟が本棚に飾っていて、命日には花を飾って写真をメールで送ってくれるので、手を合わせている。
姉が上京した時に、姉弟で集り法事ということにしています、お寺に言われてする法事と違い、お坊さんなしで気楽でよかったと思っています。
自分達も子供 にはお墓はつくらないと宣言していますが、息子には「そういうの一番面倒だから墓ぐらい建てて死んでよ」と言われてしまった。

私たちのルーツがわかるように、写真の整理を始めました

ジョンくんママ(68歳)

私の年齢を考えるとやっておかなければならない事はたくさん!
まず写真の整理。私や夫の両親、ひいおじいちゃん、おばあちゃんの写真から始まって私達家族の写真、昔は分厚いアルバムだったので棚一面にどっさりあります。でも、デジカメに写してチップのなかに収納ではなく目にすぐ見えるアルバムをやっぱり残しておきたくて。
と、始めていますがアルバムを見ていると懐かしくて時間のたつのを忘れてしまいます。
が、私や夫がいなくなった後、子供たちが私たちのルーツがわかるように、昔のご先祖様の生活やら、子供たちの成長記録やらをしっかり残しておきながら、各アルバムからピックアップして、孫たちにも見てもらえるように量を少しにしていきたいと思っています。

実家から引きあげた大きな遺影の額、飾る場所もなく困っています

なにわのヘレン(61歳)

同年代の友達が、最近は写真を撮っても全然気に入らなくて、もっと早くに遺影を撮影しておけばよかったと言うのを聞いて、最近、実家を始末したばかりの私は、持ち帰った両親と弟の遺影を家に飾るわけにもいかず、収納したままなのを思い出しました。かといって捨てるわけにもいきません。
自分自身、娘2人なので、実際のところ私たち夫婦が従来のような大きな遺影を残すこと自体、迷惑だろうと思っています。後々飾れる程度の小さな写真だけあれば十分ではないかと。
お葬式も簡素化される傾向にありますが、大きな写真は一緒に焼いて貰ってもいいんだけど・・・。
とはいえ、全く写真なしにはならないだろうから、毎年1回くらいは使えそうな写真を残しておいた方がいいなとは思っています。

遠いところにあるお墓、移すべきかそのままにすべきか、悩ましい

あきこ(70歳)

数年前3歳年上の姉が急逝し、義兄と娘二人が残された。それまで家のことは一切関わらず仕事一筋だった義兄は、家の中のこと、生活のことが全く分からずで、うろうろするばかり。娘たちも結婚して別世帯のために相談相手にはなっても、預貯金などを含め実態は知らず、家の中をひっくり返す感じで姉が残していたものの整理に当たっていた。その残された義兄が気にした大きな一つが、どこに姉を埋葬するか!?ということだった。
義兄は次男で独立しているために新たにお墓を作ることになる。私は、別に急ぐことないから数年のうちに考えれば良いと助言したのだが、本人は一周忌までには何とかせねば…として、あせってあれこれと情報収集をして、結局お参りのし易さと姉が喜びそうな雰囲気の霊園にした。
この姿を目の当たりにして、自分に置き換えた。我が家は夫の実家が長野県にあり、お墓も同じところ。夫は長男でそのお墓を引き継ぐことになるが、現在住んでいる横浜からはお墓参りだけでも一泊の距離になる。親戚は帰ってきて墓守りをせよと口出しする。
終活と問われると、今はお墓をどうしたらよいか、夫の代で移すべきかそのままにしておくべきか、まずはそれが頭にのしかかる。

母と二人三脚で終活

ジュリエット(65歳)

実家の88歳の母は息子と二人暮らしで家事を引き受け、近所の友人と花札を楽しんで頑張って生活している。私と毎日電話で一日の様子や他愛のないおしゃべりをすることが日課となっている。どのように最後を迎えたいかを必ず話して終わる。もちろんピンピンコロリ。また毎日断捨離を言いながら、なかなか進まないでいる。捨てることができないのだ。そんな母の話を聞きながら自分の20年先を思う。
60歳を過ぎた時、いろんな束縛から解放され羽が生えたような気がした。シンプルに暮らそう!身の回りを削いでいくことでこの先の道が見えるような気がした。が、母に似てなかなか断捨離ができない。右往左往しているのが現状だ。最小限必要なものだけに囲まれる生活を目標に、先ずアルバムの整理を始め日記を書くことにした。
実家近くには1387年に建立された臨済宗のお寺がある。つい5、6年前までは本堂で葬儀、法事を行っていた。喪主は隣近所の方々に葬儀の間は食事等お世話になり互いに助け合っていた。過疎の村は高齢者の比率が多くなり、若い世帯が減り相互補助の関係は出来なくなり、ついに都会にあるような葬祭場ができた。母も出来てすぐに、「こんなにいいところが出来て安心、周りにお世話にならずに済む。予約?をしてきた」と言う。すでに写真も用意し戒名も貰っている。準備万端だ。

親の終活を参考にして自分の老後を考えていた

減塩ウメ子(67歳)

子供は親の背中を見て育つって本当ですね。
親が80歳の頃、まだまだ元気だと思っていたのですが、戸建ての家は雨戸を閉めるのも庭の手入れも大変だからと近所に出来たマンションに引っ越しました。その時は何で今さらそんな面倒な事をするのかしら?どうせなら老人ホームに入ればいいのにと思いました。数年後には母は車イス、父はパーキンソン病を患いヘルパーさんのお世話になったり、兄弟で当番を決めて泊まったりしましたが、老人ホームに入居し90歳前後で二人とも他界しました。他人では実感できなかった老いという事を親の晩年の暮らし方や死を目の当たりにして、死ぬまでって大変なんだなぁと本気で思うようになりました。
私も数年後は、階段の多い今の住まいからマンションに住み替えることを考えている。それも環境が変わらない近所を・・・・親と同じですね。
お墓の事でも親がなぜあんなに重視するの理解できませんでしたが、親が入っていると思うと今までよりずっと身近に感じるようになりました。結局、親が手本なんですね。

家族がすぐわかるように、大事なことをノートに記入しています

ジューン(75歳)

始めは紛失した際に連絡出来るようにデパートなどのプリペイドカードにある電話番号、個人ナンバーをノートに控えておいたのですが、今年になって改めることにしました。
銀行口座、保険会社など一括して記入し、私に何かあったりボケてきたとき、家族がすぐわかるようにと思って。
と言うのは私と同い年の義理の妹が軽いアルツハイマーにかかり物忘れがたびたびあったり、繰り返し話したりするのを目の当たりにし、自分もいつそのような状態になるかもしれないと不安になりました。
主人にも勧めましたが、うんとは言ったもののやらずじまいです。