2017年を振り返って、印象深かったこと | 本音ココット(シニアの本音)

2017年を振り返って、印象深かったこと

今年1年で印象深かったことは何でしょうか。

初めての御朱印帳に、ハマりそうです

シナモンカモミール(65歳)

数年前に、学生時代の友だちが我が家に来た時に、市内にある神社に行ってみたいというので案内したことがある。神社への作法も完璧で、御朱印をもらっていたのを不思議に思って尋ねると、もう3冊目だという。正直、なんでこんなものを集めているんだろうと自分には関係ないなぁーと思っていたのだが・・・
今年、5月に伊勢神宮に行った時に、急に「御朱印帳を買おう」と言われ購入した。
外宮と内宮の2つの御朱印をもらって、後はしまいこんで忘れていたが、11月に京都に行ってお寺に行く度にもらっていたら、なんだか楽しくなってきた。
増えていくのが嬉しいし、家で墨の匂いに癒され、文字に見惚れ、その時の様子を思い出したりと友だちの気持ちが、今なら充分に理解できる。
次は、どこでいただこうか・・・と、すべて埋まるのが待ち遠しい

1年間お医者さんにかからなかったこと!

華ばあば(73歳)

今年もあと2週間余り。風邪も引かずに元気に1年間過ごせたことが、我が家の一番のニュースです。

定期健診以外ではお医者さんに行くことがありませんでした。
後期高齢者の仲間入りをした夫と2人暮らしの我が家。健康が全ての基本と、外出から帰宅したときの手洗い、うがいを徹底をしたことが功を奏したと思っています。
うがいは内科の先生のおすすめで粗塩を使うのが一番と言われ実行しています。
おかげで元気で新年を迎えられそうです。

母の面倒を見るために実家に移住状態になりました

ウナギーヌ(58歳)

7月初めに、母が高熱を出して救急入院してから生活が一変してしまいました。幸いにして、5日ほどで退院できましたが、入院のせいで足腰が極端に弱り、元のレベルに戻るまで2ヶ月位かかりました。
もう一人暮らしは無理。ケアマネさんから施設も勧められましたが、本人が強烈に拒否するし、それ相応の施設となると費用がかなりかかります。私が実家に住んで母の面倒を見ることとなりました。
今まで、1週間ごとに自宅と実家と交互に過ごしていましたが、7月からは夫とは別居状態、1週間に1度、日帰りで料理人として自宅に帰ってはいますが、夫の健康が心配です。
世相的には、トランプ大統領が選ばれ、以前にも増して、ナショナリズム的なムードが高まってきたこと。
先日、こまつ座の「きらめく星座」という芝居を見てきたのですが、昭和15年という設定のこの芝居の醸し出すムードが今とあまりに似ているので、うすら寒いものを感じました。日々の生活に追われ、選挙の時位しか政治のことはあまり考えない私ですが、最低限、今、何が起こっているのか、どんな法律が作られているのかはしっかり見ておかなくてはと思います。
北朝鮮は言うに及ばず、日本の周辺も不穏な状態です。さらに、人口減少の波もひたひたと感じるし、なんとなく流されてはいけないという危機感を今年はより強く持ちました。

夫が毎日家にいるようになったこと

でぼりん(54歳)

ほんっとに小さなことなんですが・・・。
夫が2017年1月末、64歳で退職し、失業保険をもらってしばらく家にいるようになりました。体を動かすことが好きでじっとしていられない性格なので仕事で毎日家を開ける私の代わりに掃除、洗濯、さらには料理までこなしてくれてありがたいのですが、自分がやったことに対しての賞賛を求めるようになりましてなんとも「ウザく」なりましたたとえば「パジャマを洗濯してやったぞ」とか「天気が良いから布団を干してやった。気づかなかった?」などなど、いちいち報告してきます。
そりゃあね、私も気付いてましたよ、でも、そのくらい黙ってやってもいいんじゃないの?と思います。私も今までお礼なんで言われたことないですし、ちょっと面倒くさいです。
夫は退職直前まで7年間福岡と大阪に単身赴任していたので、夫不在に慣れすぎたのでしょうね。気を使う人がいないのでたしかに楽でした。

そうそう、夫がある時「お前と一緒に旅行するのが一番気楽だなぁ。親友でもやっぱり気を使うもんな」といったのです。こう言われてビックリ。私が気を使ってるからあなたは気を使わなくて済んでるのよ、と心のなかで言いましたが、ほんとにお気楽なんだなぁと感心してしまいました。来年からは年金をもらうようになります。
これからもっと面倒くさくなるのか、あるいはおとなしくなるのか、それを観察してみたいと思います。

区民農園が当選し農業が大変だと実感した

減塩ウメ子(68歳)

家から直ぐの畑が区民農園として募集したので、夫も私もガーデニングも野菜作りには全く興味は無かったのですが、2歳になる孫の情操教育になると思って申し込みました。
当選のハガキが届き誰でも当たるのだと思ったら、相当の倍率だったそうです。
放置しているわけにもいかず、本を買いホームセンターで助言を受け最も簡単なプチトマトを植えてみました。本当に赤いトマトがどの枝にも鈴なりで、孫は遊びに来るたびに畑に行き、トマトの収穫を楽しんでくれました。よその畑はブロッコリーやパプリカなど羨ましいほど出来ていましたが、プチトマトが出来ただけで満足です。
今まで無縁だった畑仕事に触れて、種をまいたり苗を植える前に土を耕したり肥料をまいたり、大変だという事を体験し良かったと思っています。でも、次回は遠慮するつもりです。

娘の招きで歌舞伎観劇

ジューン(76歳)

平々凡々に暮らしていて、際立って印象に残った事はないのですが…
そういえば7月歌舞伎に娘が珍しく招待してくれた事があります。何か用事がないと連絡して来ない娘です。その娘がです…
思ってもみなかったので嬉しいのと何か面映ゆい気持ちでした。
海老藏さんのお子さんが夜出演するかしないかで話題になっていた初日の昼。昼から報道人もいて賑やかでした。お席も前の方で花道に近く、役者さん達もよく拝見出来て、又美味しいお弁当も頂き楽しいひとときでした。
娘と二人でというのも思い出深いものになったと思います。

びっくり夫の初期がん発見

晴れ時々畑(68歳)

元気印の夫が、人間ドックで引っ掛かりました。胃カメラがたまたま十二指腸の奥のほうを瞬間写したそうです。怪しいと先生は思われたのでしょう。ポリープのほうは生検に回し、悪性腫瘍ぽいものは触らず精密検査を勧められたようです。
この中途半端状態の時が一番きつかったです。自分のことなら開き直れるけどと、友達も言います。夫となるとなんだかもやもや、イライラ、自覚もないのに胃腸が不調。ぐずぐず、落ち込んでいました。
私は自分が精神的に超よわいとは思っていましたが本当に超弱く、体調がずーっとすぐれませんでした。夫より先に私が逝くと思っていたので、結構ショックでした。
腺癌もしくは初期のがんという診断が降りて、手術の日取りも決まったら少し落ち着きました。
夫のほうは、淡々と仕事をこなし、手術を受け、成功して、ほっとしました。
8日間の入院手術は初めてのことで、どんなに体が弱っているか自覚なく無茶しそうで気をもみました。
現在、お酒がまだ飲めないのがつらいようですが、来週の先生の診断を待っているところです。考えてみれば、ほんとに超初期のがんの発見はラッキーだったと思います。健康診断で、ちゃんと見つかるんですね。
夫婦で元気に一緒に長生きしたいです。二人で生きてれば年金もそれなりにもらえてそんなに贅沢さえしなければ、楽しく過ごせますものね。

癌が身近になりました

楽しみ見つけ隊(67歳)

3月に天寿の母を見送って、空いた時間を楽しくしようと計画した矢先 、年に何回かは二人で旅行をしようと約束している義妹の癌が再発して、ステージ4、このままだと1、2年の命と告知され、治療が始まりました。どの治療が良いか、模索と副作用への対処の日々が続いています。免疫力が低下して治療の中断もあり、免疫力アップが大切と情報を探しては試してもらうことが、お節介ではあるけれど私の出来る事と頑張っています。
癌は不治の病気ではなく、治療をして治るようになったと理解しているつもりですが、周りの人たちが次々に癌になり、癌が身近に感じるようになりました。
今年も後少しとなった先日、人間ドックの結果を聞きに行った主人より初期の肺がんともう一つ影があるらしいと報告がありました。この4年間に両親を癌で亡くし、3人兄妹の兄と妹に癌が見つかり、自分だけは癌にならないとタバコもお酒も大好きな甘いものもやめて、水泳と規則正しい生活に全力を注いでいたので、本人は相当ショックのようです。初期の癌ですので治療をすれば大丈夫と思っていますが、癌になることに非常に強く不安を感じていた主人にどの様に対処するか大きな課題が出来ました。
2017年は私には癌と向き合う生活を模索する年になりました。それはそのまま毎日毎日を大切にして生きたいという実感と元気に過ごせることへの感謝の気持になりました。

楽しかったこと、辛かったこと

ジョンママ(69歳)

今年の10月に学生時代のクラス会が3年ぶりにありました。
3年に一度なので私達もあまり変わりませんが、遠方から来ている友人もいるので、久し振りにみなとおしゃべりをしたいと思い出かけました。
場所は東京駅の新丸ビル、おしゃれな空間をぶらぶらしたりして、その中の一員になって、日常生活を忘れて気分爽快な楽しい一時でした。
が、クラス会で、とてもショックな事がありました。クラスメイトの一人が亡くなっていたのです。何と、肺がん!しかもわかってから1年半くらいで亡くなってしまったのです。
今年は私の友人回りでがんという病気になってしまった人が何人かいます。
大きな手術をして病気と闘っている人、残念なことに亡くなってしまった人、そんな友人の事を思っていると、心が重く、辛くなります。
それでも今年の大晦日31日には、我が家の近くの、池上の本門寺の除夜の鐘の音を聞いて、2018年に向けて心をリセットしていきたいと思っています。

待望の内孫誕生

ペコママ(66歳)

結婚して7年経つ息子夫婦からは、不妊治療をしていると聞いておりました。
それぞれの姉妹には2人から3人の子供たちがいて、姪や甥達と楽しく遊ぶ、子供好きの二人をみるにつけ、やるせなさを感じていました。
いつも二人で外国に行ったりして遊んでいましたから、気楽に楽しく暮らしていくのも良いかもと思う気持ちもありますが。
9月に息子夫婦から娘家族も一緒に山中湖に行こうと誘われ、学校行事で無理だった娘達無しで私達夫婦と4人となりました。
夕食後、場所を変えて特別なサロンでくつろいでいると、妊娠したと告げられました。
長い間待ち望んでおりましたので、嬉し過ぎてまだ生まれてもいないのにうれし涙です。あとは無事に生まれることを願って安産祈願です。

季節は前倒しで過ぎました

ファンシー(57歳)

毎年、あっと言う間に過ぎる一年ですが、今年は季節の変化が長年感じてきた以上にわかりにくく、春や秋の微妙な温度変化、気候、季節の流れがわからない年だったと感じています。
夏は六月辺りがピークだったような。
前倒しで、季節変化がくるので、衣替えは間に合わず、終わった頃にはまた、しまった衣服を取り出したり季節変化を楽しむ余裕もなかった気がします。
節約や、節電という言葉もあまり 聞かれなかったような。
東京オリンピックに向けて、やや 景気を上向きに、なのでしょうか。
庶民のサイフの紐は意外に固く、オシャレなブランドやショップは減りつつあり、寂しさも感じる一年でした。

いつ何が起こるかはわからない毎日、明日が楽しければOK!

ORI(66歳)

ラスベガスの乱射事件時に近くにいました。
1年が過ぎるのは早いです。色々な事がおこり、過ぎ去って行きます。
大きな出来事と思い返すとラスベガスの銃撃事件時に旅行でラスベガスにいて 良く解らずに避難までしてしまった事です。
カジノ見学をしていたら急に「隠れろ」との事でカジノ台の下にもぐり、その後「逃げろ」との事でホテルから外に皆で逃げました。テロかと思ったのですが違い、銃の乱射事件でした。
言葉がわからないので恐怖もなく周りの方と同じ行動をとるしかなく、ただただ外で待つこと3時間余り、シーザースホテルのごみ置き場に近い駐車場で臭い匂いの中待機、ホテルがタオルと水を配布してくれたのでありがたかったです。その後AM2:00頃やっとホテルに戻れました。
ニュースで大変な事件だったと知りました。銃社会は本当に怖いものです。
早朝、部屋に電話があったのですが寝ていたので無視。ニュースで日本に巻き込まれた人はいないけれど4人の居所が確認されていないという報道。2人は家だったのかな?その後、昼前に再度旅行代理店からの電話に無事を報告しました。
その後、街に出ると銃を持った警備?の人々がいたるところに、でもカジノはいつもどうりに営業をしていました。
夜の観光では、いつ何が起こるかわからないと何か気が大きくなり地上300mの塔の上の空中ブランコに乗ってみました。はたから見ると怖そうでも乗ってみるとそれ程ではありませんでした。
いつ何に巻き込まれるかわからない世の中、あまり先は考えず毎日楽しくやってゆけば良いなとあらためて思いました。

 

トランプ大統領の誕生

ミューちゃんのママ(70歳)

今年何といっても驚いたのはトランプ氏がアメリカ大統領になったことです。
オバマ氏が黒人で大統領になった時にも黒人差別のあるアメリカで良くなったなと思ったものですが、トランプ大統領には大統領としての知性や品格もなく、アメリカファーストと声高に叫んだだけで、まさか大統領になるとは思いませんでした。
オバマ氏が大統領になった時にはアメリカを見直したのですが、今回はがっかりです。なんか自分の国さえ良ければよいという最近の風潮が怖いですね。
北朝鮮のミサイル問題からアメリカがどう反応するのか、戦争にならないことを祈ります。

白内障になったこと

ミューちゃんのママ(70歳)

いわゆる印象に残った事件というのではないのですが、私にとっての大事件は白内障になったことです。
今までも近視が強かったり、飛蚊症になったり、網膜剥離になったりと目だけはいろいろ悩まされていました。
でもちょっと白内障がかかってきていますよと眼科でいわれてから、この半年であれよあれよというまに左目が見えにくくなりついに眼科の先生から白内障の手術をしましょうと言われてしまいました。
それで周りの方に尋ねると、思ったよりも、もう手術をした方が多く、日帰り手術や入院での手術など、その短所や長所情報をもらえました。
例えば手術は日帰りでも消毒に通わないといけない。入院は消毒に行かなくてもよいが病院では眠りにくい。など人によって違いました。
結局私は枕が変わると眠れないので、日帰りにしました。
白内障になると車の運転やテニス、自転車に乗ることまで少し不自由になり、年を取るということはこういうことなのだなとつくづく感じ入りました。

後期高齢者と言われてから急に体に異変?が起こりました

オペラ (76歳)

みなさま、後期高齢者って言う言葉75歳からエンドレスまでなんですって。ご存知でしたか?こんなに寿命が延びている日本での話です。
そして、今年の年に一度の検診の封筒の表に「長寿検診」みたいな赤字での文字に驚きました。振り返ってみれば一昔前なら当たり前の年齢ですものね。
所が失礼なという場合ではなくなりました。
検診で「加齢黄斑変性症」の始まりと言われ、ネット検索。ショックでした。
ずっと薬を飲み続けています。ほっておけば失明。山中教授のips細胞の移植が待たれる難病だそうです。慈恵医大で今後の治療方法などを受診してきます。
八月に喉に違和感を感じ、CTや組織検査を受けましたが、十月に「がんでなくて良かったですね」と言われほっとしました。恒例の合唱祭に無事出演出来ました。
昨年、左手にひどい痺れを感じ、手専門外来を受診。手根管症で注射をしています。寒い時期に手術を勧められています。しばらく水を使えないからだそうです。
二年前に脊柱管狭窄症の手術を受け、痛みも取れしっかり歩けるようになり、これからの残された人生を前向きに楽しく送ろうと思っていましたので、今年の体の異変には、落ち込みました。しかし、現代の医学を信じたいと気持ちも新たにしている今日この頃です!!

孫娘が一年生になりました

ドビンポット(67歳)

孫が小学校に入学しました。
息子夫婦が「来ても良いよ」と言ってくれたのでジジとババ、二人で行ってきました。
約30年ぶりの小学校入学式は息子たちの時代とはやはり少々違っていて、体育館での保護者席は子供たちと向かい合いで、校長先生の挨拶も壇上からではなく、保護者席と新入生席の間にマイクを置いてのものでした。
配られた名簿は男女別ではなく、名前にはいわゆるキラキラネームがずらり。ちょっと読めないものも多く、先生が苦労する、と聞いてはいましたが「これでは本当に大変」と実感しました。
子供たちの可愛らしさや元気な様子はいつの時代も変わらず、文字どおりのピカピカの一年生達でした。
夫は自分の子供達の入学式には一度も出席したことがなかったので感慨もひとしお。私は、今はパパとして出席している長男の入学式を懐かしく思い出しました。
孫が文字を書けるようになった一年余り前から手紙のやり取りをしているのですが、初めのうちは文字も文章も解読不能な手紙だったのが、小学生になってからは、文字はきれいになるし、文もきちんと意味の通る、それなりに内容のあるものになってきました。
メールやラインが主流の昨今、いつまで続くか分からない孫娘との文通の手紙が私の一番の宝物です。

70歳は自己管理ができない人?

青森リンゴ(70歳)

今年一番印象に残った事は70歳は急に年寄り扱いと言うことです。
郵便局から何やら保険の契約の事で伺いますとの電話、お家のどなたかと一緒に話を聞いてくださいというので、一人暮らしの旨を伝え契約した私が対応しますと言っても要領を得ない。これって新しいタイプの保険を勧めるのに、70歳は話が通じないと思っているんですね。結局郵便局からは誰もきませんでした。
そう言えば投資信託も70歳以上は云々と申込書に書いてあったような。
最近、マンションを買ったのですが、契約に1人で出向いたら、どなたか一緒に来てないのかと言われて、70歳はもう一人前ではないのかとガックリ。もちろん1人で契約を結びましたが。
確かに相手が早口で話す言葉に耳が追い付かず、内容も即座に把握するのが難しくなっているのは本人も自覚済みですが、「誰か連れてきて」という前にはっきりゆっくりと説明してくれる心づかいがあってもいいのにと思いました。

母が熱中症になりました

グランマ(68歳)

8月に、隣で一人暮らしをしている母が、熱中症で倒れ入院しました。
朝早いから大丈夫と日課のようになっている、庭と家の前の歩道の掃除をした後でした。
仕事を終えてシャワーを浴びるのが気持ちよいからと、あえて暑いのを我慢してやっていたようです。
急に高い熱が出て、救急車を呼ぶ騒ぎになりました。
病院に行くと肺炎も併発していました。
今まで、全く病院にかかったこともなく元気だったので、私たちはもちろん本人が一番驚いたようです。
入院した時はまだ元気でしたが、長引くに従い食事が美味しくないと食欲も落ち、みるみるやつれてきて、寝たきりになったらどうしようと心配しました。
9月の中旬、寝たきりにならずに無事退院できましたが、やはり年には勝てず、すぐには前のようには動けませんでした。しばらく食事作りなどは私が手伝っての生活でした。
退院から3か月近くたち、やっと元の生活に戻ってくれて、今はホッとしています。
来年は93歳、この後どれくらい一人で、頑張ってくれるのかな。
母を置いての長い旅行は、しばらく我慢かな、などといろいろ考えさせられました。

古希を迎えたこと!!

こまち(70歳)

まだまだ先だと思っていたのですが、遂にこの秋、古希を迎えてしまいました。
10年前の還暦を迎えた時と違って老いを感じ始めているのが現実です。
例えば風邪などひいても以前だったら4~5日もしたら治るはずが、のど、せき、挙句の果てに熱まで順に出て、何だかんだ
1か月近くもかかってしまいました。
歩く速さも転ぶことを恐れてゆっくり、ゆっくりとこれが老いなんだと実感させられます。
先日、市から“国民健康保険高齢者証”が届き、高齢者という字にまたまたショックを受けました。
いつまでも若い、若いと思っていても老いは始まっています。
これから始まる70代、少しでも元気でいられるよう頑張っていきたいと思っています。
私にとって今年一番印象に残ることでした。

コーラスの記念コンサートの実行委員長を経験しました

おきらくさん(72歳)

趣味でコーラスを歌ってますが、今年は団創立40年を越してしまいました。
このことを祝して、5月21日に“40周年記念コンサート”を、市民文化会館大ホールで開催しました。平均年齢70歳を越していますが、4ステージ構成で、女声合唱・混声合唱を他団体の賛助出演を得て、歌いました。
最後のステージはイギリスより客演指揮者をお招きし、12人のオーケストラを伴奏にフォーレ作曲「レクイエム」を演奏しました。
その演奏会の実行委員長として、企画からプログラム作成、ステージ構成など全てに関わり、演奏会当日には700名のお客様を前に、挨拶までいたしました。
これまでに一度も経験した事のない、大イベントでした。